何のかんの言っても、ピアニストはやはり音色ひとつだと思う。どんなに指が達者でも、
作品に対する鋭い感性と解釈を持っていても、音色がまずければそれまでである。
SEA OTTER が好んで聴くピアニストの音色は、色にしてみれば明るい乳白色から輝きを持った橙色の
イメージが多い。言葉で表現するのは難しいが、あえて言えば明るく暖かさを感じさせる、
立ち上がりの良い音色といった具合か。
その中でも群を抜いて光り輝いているのが、このウィリアム・カペルの音色である。
カペルが残した録音は1940〜50年代のもので、しかもライブ録音が多いため音質がよいとは決して言えない
(むしろ、悪いと言ったほうが正しい)。それでもなおカペルの音色は黄金の光沢と熱を放ちつつ
我々に迫ってくるのだ。
カペルほどピアノという楽器の響かせ方に秀でた演奏家に
SEA OTTER は未だ出会ったことがない。カペルの音色の「輝き」の正体は、物理的に言えば発音後の
「伸び」ではないかと最近気づいた。例えば、ショパンのノクターンにおける単純な主旋律を聴いてみて
いただきたい。これほどまでに、音色自体が「歌って」いる演奏を皆さんは聴いたことがおありだろうか?
演奏の表現としては、きわめて端正である。悪くすれば素っ気無ささえ感じさせるかもしれない。
しかし、音色が歌っているのである! ピアノでこんな表現が可能だとは!! これは全くの驚異である。
カペルについてもうひとつの驚異は、彼の演奏は紛れもなく彼自身の音楽、「うた」
であるのに、作品自体を彼のカラーで塗りつぶしてしまうことが決してないということである。それは
超一流の料理人が素材そのものを活かすために極めてシンプルな調理法を選ぶのにも似ている。
カペルの場合もしかりで、彼のシンプルかつ明確な演奏によって、まずはあらゆる作品の「本質」に
生命と言葉が与えられる。そうして、それと分かちがたく溶け合うような形でカペルの音楽が存在するのである。
カペルが特に得意としていたショパンの演奏を聴くと、それは現としてカペルの体を通して
生み出されたカペル自身の音楽でありながら、
ショパンの音楽そのものでもあるような錯覚にとらわれるのは、そのためかもしれない。
大変残念なことに、カペルは31歳という若さでこの世を去って
しまった。現在我々がカペルの演奏に触れることが出来るのは
限られた録音を通してのみであるが、彼の演奏は時代に
置き去りにされたような古めかしさは微塵も感じさせない。
それどころか、非常に新鮮でさえある。
今後ますます注目されて然るべき
演奏家として自信を持ってお薦めしたい。