* 動画にJavaScriptを使用しています。IE4.0以上推奨。

Remembered - カペルの日記と映像から”円熟”の秘密を探る


   そういう瞬間は、いつも突然に訪れる。カペル研究の権威の一人、アラン・エヴァンズ氏や、カペルの数々の貴重な録音の復刻に携わったジョー・サレルノ氏からメールが舞い込んだのも、突然の出来事だった。そしてまた、勿論、この唯一残された”動くカペル”の映像が、すぐ手の届くところにあるという驚くべき事実を告げる知らせも。

   唯一残された”動くカペル”の映像とは、フォード財団が出資していたテレビ番組”Omnibus”にカペルが出演した時のもので、そのオリジナルはニューヨークの放送博物館及びメリーランド大学インターナショナル・ピアノ・アーカイヴに所蔵されている。Remembered は、その Omnibus 収録の演奏シーンを中心に編まれた約25分間のドキュメンタリーであり、現在、幸運にもインターネットを通して誰もが簡単に観られるようになっている。その幻とでもいうべき垂涎の演奏シーンの他に、これもまた唯一残されたラジオ放送用のインタビューからの抜粋、そしてプライヴェートなものをも含む数々の貴重な写真がカペルの演奏に乗せて映し出される。また、カペル夫人による興味深いコメントなども差し挟まれ、録音や写真を通してだけでは掴み得ないカペルの実像を間近に引き寄せてくれている。使われている音源としても、現在CDとして入手できる録音は勿論、プロコフィエフの第7ソナタやモーツァルトのピアノ協奏曲といった市場ラインに乗っていない録音まで聴くことができ、カペル・ファンとしては目も耳もモニターに釘付けにされ、一瞬たりとも気を抜くことができないのである(全収録曲については末尾にリストを付す)。 
   そのような濃厚な25分間のうちでも、特に興味をそそられる部分についてここに若干書いてみたい。すなわち、カペル夫人によって語られるカペルの日記と、いわずもがな、彼の神器を前にした神聖なるセレモニーの実写 -  ”動くカペル”の映像についてである。


   カペルの日記を紐解きつつ夫人が訥々と語るのは、カペルが”maturity”、つまり”円熟”(この言葉はまた、前述のラジオ放送用インタビュー内容の中核を成すキーワードでもある)へと至る道すがらとその秘密についてである。

   彼らが結婚した翌年の1949年、カペルが約半年の長期休暇をとったのは夫人の語る通りである。そして、その休暇中に彼はモーツァルトやシューベルトの作品を勉強し、またアルトゥール・シュナーベルの演奏に熱心に聴き入った。賢明なカペル・ファンにとっては自明のことであろうが、この1949年頃を境に彼の音楽は一気に「円熟」へと歩を進めた。まさに、この年は彼の短い演奏活動期間における一大ターニング・ポイントであったといえよう。人間としての成熟、そして音楽的な円熟。そのきっかけとなったのは、商魂たくましいマネージメントの指図に翻弄されることなく、彼本人が真に望むところのレパートリー(前述のモーツァルトやシューベルトをはじめとする純クラシック作品)に一心に打ち込むことを可能にした半年の自由時間と、恐らく最も彼の音楽に影響を与え得るであろう人物の移り変わりである。

   カペルは演奏活動の初期において、ハチャトゥリアンのピアノ協奏曲であまりにも劇的な成功を収めてしまった。聴衆とマネージメントは、カペルを華麗でややもすると曲芸的なピアニストの代表格と仕立て上げ、その後もそのイメージを保ち続けることを彼に強いた。いきおい、プログラムに載るのはハチャトゥリアンを筆頭にラフマニノフ、ショスタコーヴィチ、チャイコフスキー、プロコフィエフなどのヴィルトゥオーゾ効果抜群の作品ばかり。これはカペル自身の意向を全く無視した動きであり、彼はこのような状況に大いに辟易していたのであるが、更に追い討ちをかけるように彼を苦しめたのは次のような経緯であった。つまり、彼がジュリアード音楽院時代から師事し、彼の音楽形成と演奏活動に最も直接的な影響力を持っていたオルガ・サマロフ女史こそが、それらのロシア作曲家によるレパートリーをまず最初にカペルに積極的に演奏させた張本人だったのである。
   時は第二次大戦中、合衆国とソ連は友好関係にあり、合衆国にはソ連の最新の音楽と優れた音楽家が集っていた。もとよりロシアびいきだったサマロフ女史がそれに目を付けないはずもなく、一番弟子のカペルの成功の足がかりとしてそれらの話題性に富んだ作品を演奏させようと思ったのも無理からぬ話である。カペル自身、そのような女史の方針に対し不満に思う部分が少なくなかったようだが、結果として彼を楽壇の寵児へと登らせしめたのも、また彼女のそのような手腕あってのことである(カペルが初めてメジャー・マネージメントと契約を交わした時の写真ではカペルの傍で誇らしげなサマロフ女史の姿が印象的である)。カペルとサマロフ女史との縁は、誰の目から見ても簡単には切りはなせないもののように思われた。しかし、その強固であるかのように見えた絆は、カペルが最愛の妻アンナ・ルーと結婚したその日に、女史の死という形でいとも簡単に断ち切られてしまったのである。何と皮肉なことであろうか!

   カペル自身および彼の音楽の最大の理解者であり、また最も容赦ない批評家でもあったアンナ・ルーとの新生活の中で、カペルの音楽もまた新境地へと到った。現実的には先に述べた長期休暇がそれを可能にする手助けとなったが、音楽的にカペルに影響を与える人物が一変したことが決定的要因だったのではないかと思われる。それまでサマロフ女史が演じてきた役割をアンナ・ルーがそのまま引き受けたとするには多少なりとも無理があるが、自身もかなりの腕前のピアノ弾きであり、音楽に献身する人間の何たるかを心得ていたアンナ・ルーが陰日なた無くカペルの音楽生活を支えてきたであろうことは容易に推測がつく。また、シュナーベルへの傾倒はドイツ古典派の作品をレパートリーに加えさせる引き金となったし、パブロ・カザルスやルドルフ・ゼルキン、ユージン・イストミンといった心ある芸術家との交友も大いに刺激となったはずである(筆者は、後年のカペルの演奏のスケールの大きさ、奥の深さは、これら芸術家の知己を得たことによるところが大きいと考えている)。ここにきて、ようやく彼はサマロフとハチャトゥリアンの呪縛から解き放たれた。そして、音楽家として自分が信じる道を、他ならぬ自分自身の足によって、確信をもちつつ歩み始めることとなる。 それが以降の彼の音楽にどれほど絶大な効果をもたらし、どのような果実を結んだかは、1949年以降の残された録音を聴けばたちどころに理解されるのである。ドキュメンタリーで流れるモーツァルトの協奏曲(1950年4月13日収録)はその好例で、”円熟”というカペルの新境地を見事に物語っている。

   ドキュメンタリーからは少し離れるが、時を同じくしてカペルの生活にもう一つの変化があったことにも是非触れておきたい。なぜなら、それもカペルを”円熟”へと促す上で重要な一要素であると推測するからである。もう一つの生活の変化とは、すなわち母校であるジュリアード音楽院で教鞭を取るようになったことである。元来、カペルは自身の音楽に決して妥協を許さず、たえず客観的、批判的な耳を持つ演奏家であったが、教える立場に立つことによって一層その厳しさが増したようだ。カペルの最初の弟子であったローウェンタールは入門に際し「最低でも一日5時間の練習」を約束させられたという。ローウェンタールは次のように回想している。

「・・・始めに、たくさんの音階とアルペジオ、チェルニーとショパンのロ短調スケルツォ(第1番)を使って、指の強化トレーニングをしました。後々も、彼は指の強靭さがいかに大切であるかについて指摘し続けましたが、それを得るための方法は私に任せられていました。」

   カペルのそのような厳しい指導方針は、そのままカペル自身の研鑽のあり方にも通じている。ドキュメンタリーで紹介される1952年の日記は、彼の徹底的な取り組み姿勢を伝える格好の材料である。

「ショパンのイ短調の練習曲は、楽になりつつある。とはいっても最初の2ページだけだが。僕の能力など”取るに足りないもの”だ! しかし、僕には忍耐がある。もし”練習すれば完璧になる”(practice makes perfect)のだとしたら、僕は完璧だろう。でも、残念ながらそうではない。いや、誰だって同じことだ。僕は、自分の指が思い通りに動いてくれるようになるまで、忍耐強くさらうことにしよう!? 忍耐だけが目標を達成させることができるのだから。」
 〜1952年6月12日の日記より

   1952年といえば、カペルの演奏は既に技術的にも音楽的にも最高と思われるレベルに達していた時期であるが、その中にあってこのような言葉が出てくるとは俄かに信じがたいことである。しかし、彼はそのような人間であった。そして、そのような人間であったからこそ、31歳という若さで、あのような偉業が成し遂げられたのである。


   カペル晩年の1953年に収録されたテレビ番組 Omnibus に残された演奏シーンは、彼のファンならずともピアノ関係者ならば必ず一度は見なくてはならない、秘宝の輝きを持つ映像である。なぜなら、この映像は収録の時期からしても、また選曲の面からいっても、カペルの円熟の極みを余すことなく伝えるのにうってつけの条件が揃っているからである。我々はこの幸運に大いに感謝しなくてはならない。 ここで演奏されるのは、ショパンの後期の名作、夜想曲op.55-2である。テレビ収録の約2週間前に行われた”フリック・コレクション・リサイタル”のライヴ録音においても同曲の演奏を聴くことができるが、何と言ってもカペルの演奏フォーム、なかんずく手の使い方をつぶさに観る事ができると言う点で、この映像の価値は他に換えることが出来ないものである。

   ショパンのこの美しい夜想曲は、地味なようでいて実は大変な難曲である。ショパンの後期作品に顕著なポリフォニックなテクスチュアを持ち、各声部に与えられた性格の違いを一本の手で(時には二本の手で)表現しなければならないし、左手伴奏部分の広範にわたる分散和音はショパンの指示通り”絶えずレガートで”弾かれなければならない。それらの細かいことを処理しながら全体の緩やかな流れは決して妨げられてはならない。しかも、全体がシンプルな作りであるだけに、絶対的な”音の美しさ”が要求される。ピアニストにとっては誤魔化しがきかない、最も実力が露になる部類の作品といって良いであろう。

   しかし、このカペルの映像からそのような難しさは微塵も感じられない(もっとも、それを感じさせるようであればプロとして失格ではあるが)。この夜想曲のカンティレーナを奏でるカペルの音色は、他に追随を許さぬほどの輝きを放っている。その密度の高さゆえに、筆者は、手首の動きを極力控え、上体のポジションとしても多少鍵盤を見下ろすような位置で弾いているように想像していたのだが、実際は全く逆の様相であった。手首は発音の後、比較的自由に動かされ、音を最も響かせる場面で彼は上体を後ろに引く。”そこそこ”のピアニストが同じように演る場面をよく見るが、それから得られる効果はカペルの場合とは違うように思われる。例えば、発音後に手首を動かすと、なるほどその音の伸びは良くなるように感じられるものの、一音一音の単位で音にうねりが発生してしまい、大きなフレーズを描くことが困難になる。また、上体を後ろに持っていくと、大抵の場合は指のコントロールが散漫になりがちである。ダイナミックな部分を奏する時には良いかもしれないが、あのように極度の繊細さが必要とされる場面では、一般的に勧められない動きである。しかし、カペルは実際にそのようなフォームで弾きながら、現実として奇跡的に美しい夜想曲を奏でており、筆者にとってこれはかなり新鮮な驚きであった。

   更に印象深かったのは、彼の左手の親指である。親指の使い方をみれば、おおよそそのピアニストの力量が分かるとも言われているが、あのようにバランスの取れた親指の使い方は滅多にお目にかかることが無いように思う。幅の広い分散和音を均一な音色で、しかも完全なレガートで弾くことを可能にしているのは、やはりこの親指の技術によるところが大きい。注意深く観ていただければお分かりいただけるかと思うが、カペルの親指は殆ど手首の位置から柔軟に動き、あらゆるポジションへスムーズに進行できるようになっている。

   音色の均一さと、完全なレガートいう点においては、もちろん右手の技術も特筆に価する。この作品における右手は、大部分が2声部を担当しているのだが、一般的に筋力が弱いとされている小指と薬指でカンティレーナを歌い、一般的に最もコントロールが難しいとされている親指側三本の指で均一なスタッカートを奏さなければならない。ピアニストにとって、この程度のことは当たり前にできなくてはならない技術ではあるが、これほどまでに習熟された演奏は少ないのではないだろうか。個々のあらゆる音に対する打鍵のスピード、角度、深さが、全体として完全な調和を生むように計算しつくされているかのようだ。 これは間違いなく日々のたゆまざるトレーニングの結果である。彼の指は、すでに彼の思い通りだった。彼の望む音色を、彼の望むフレーズを、彼の指はどのような状況にあっても瞬時に現実化できるほどの訓練を積んでいたのである。一見優美な夜想曲ではあるが、そこかしこにカペルの驚異的な技術の高さが見て取れるのである。

   しかし、ここで技術面だけに囚われていたのでは肝心なものを見落としてしまう。実を言うと、筆者は初めてこの映像に接したとき、ちょっとした違和感を覚えた。よくよく考えると、それは、カペルと作品との間に存在する距離感が、音のみから感じられるものと、映像から客観的に観察できるものとで違うことから発生していたように思われる。音だけを頼りにすると、この作品とカペルの精神とは一体となっているかのように近しく感じられるのだが、映像をみると、カペルは作品をいささか遠巻きに眺め、少し乱暴な言い方ではあるが、時としてあたかも他人が演奏しているかのように振舞う。これには戸惑いを感じないわけにはいかなかった。しかし、何度も繰り返し映像を観るうちに、その考えは改めさせられた。

   映像にみられるカペルの演奏は、客観性が損なわれないためにある程度作品が突き放されているものの、音色そのものは見事に作品の真実を語っているのである。そこにあるのは、ショパン作品のロマンチシズムに溺れた狂言ではなく、純粋なショパン自身の言葉である。これこそは音楽的”円熟”を極めたものだけにしか許されない、第一級の表現ではなかろうか。そして、その音楽的”円熟”の陰には、間違いなく彼の忍耐強い研鑽がある。あの調和の取れた音楽と神々しい音色は、厳しい研鑽の末に獲得された全てを自在にコントロールできる技術によってのみ引き出され得るのだから。この唯一無二の演奏の素晴らしさは、それゆえに、 彼の”天才”を示すものとしてではなく、むしろ彼の”忍耐”に支えられた”円熟”の証として捉えられるべきものなのである。

    夜想曲の緩やかな流れの中にその真実を見出した時、筆者は、カペルが為した途方も無い偉業の前に、ただただ感服するより他なかった。これは単に美しい音楽を聴いて感動した、というのとは明らかに異なり、音楽をするカペルの姿勢に、つまり人間カペルの精神性に打たれたといえば良いか。上手な演奏は掃いて捨てるほどある昨今だが、このような深い印象を残してくれる演奏には、また滅多に出会えない。”名演”という世俗的な冠をかぶせるよりも、黙って心の奥にしまっておきたくなる、そのような演奏である。


   さて、そろそろ筆を置く時が近づいたようだ。これまで見てきたように、Remembered には、カペルの”円熟”の秘密を解く鍵がたくさん隠されている。もとより、その鍵は求めるものにしか見えないものではあるのだが。それにしても、たかだか十数年の演奏活動において、かつてあれほどまで”円熟”の深みに達した演奏家はいたであろうか? デビュー当時のハチャトゥリアンの協奏曲と、晩年のシューベルトの演奏を並べてみて、カペルという音楽家に興味を持たれた方は、是非このドキュメンタリーをご覧頂きたい。そして、カペルの”円熟”の秘密を解く鍵を探す際に、拙文が多少なりとも手助けとなれば甚だ光栄である。


* * * * * * * 
   ある音楽家の音楽を好きになると、その音楽が好きなのか、その音楽家が好きなのか、分からなくなる時がある。音楽をする人間と、その音楽とを安直に結びつけることに筆者は今でも抵抗を感じることが少なくないが、カペルの音楽を聴くと、どうしてもカペルの人間性を信じてしまいたくなるというのが本音である。筆者はこれからも、カペルの音楽に向き合いながら、カペルという人間に向き合っていくこととなるだろう。そしてまた、そういう寛容さも、音楽を聴く上で新たな喜びをもたらしてくれるものかもしれないと思い始めている。ある日突然訪れたこの映像との出会いは、音楽と向き合う自分の姿勢に今一度疑問を投げかけ、また、新たな可能性を示してくれたという意味においても、忘れ得ないものとなるだろう。


*このページで紹介しているドキュメンタリー及びインタビューは以下のサイトでご覧いただけます。
www.williamkapell.com





Dedication■ 
Dedicated to Akinobu Takahashi, August 17, 2005.

Acknowledgment■ 
Our gratitude to Mr. Dave Kapell for permission to use precious images from "Remembered".


収録曲一覧 (同一録音収録CD / オリジナル音源所蔵先)■
Chopin: Mazurka op.7-5 (William Kapell Edition Vol.1 / RCA)
Prokofiev: Piano Concerto No.3, 2nd mov. (William Kapell Edition Vol.4 / RCA)
Mozart: Piano Concerto Kv.414, 2nd mov. (*** / CRAA)
Prokofiev: Piano Sonata No.7, 1st mov. (*** / IPAM)
Chopin: Nocturne op.55-2 (*** / NBC "Omnibus" 1953/03/15)
Chopin: Piano Sonata No.2, 3rd mov. (Willam Kapell Edition Vol.2 / RCA)
J.S. Bach: Partita No.4, Allemande & Courante (William Kapell Edition Vol.6 / RCA)

写真出典■ 
William Kapell Remembered
 (www.williamkapell.com)
Tim Page, William Kapell: a Documentary Life History of the American Pianist (Maryland, USA: International Piano Archives at Maryland College Park, 1992), p.34, 82, 99 & 188(C)1947 by Irving Penn.





Back